南アメリカ大陸の地図上では、チリ共和国は細いリボン状の土地のように見えます。沿岸線は、実に南北に2,600マイルもの長さに及びますが、その幅はアンデス山脈~太平洋間でほんの110マイルにすぎません。東にアルゼンチン、北東にボリビア、北にペルーと国境を接しています。

インカ帝国がチリまで領土を拡大したときも、先住民のアラウカノAraucano族を制圧することはできませんでした。アラウカノ族のなかでもマプーチMapuche族とウィリーチェHuilliche族は勇猛でよく訓練された兵力を誇りました。アラウカノ族が非常に勇敢で優れた軍事力を持つと考えられていたのは、彼らの功績によります。

この地を植民地化するためにやって北スペインの軍人たちも、アラウカノ族の激しい抵抗にあいました。ヨーロッパ人たちは地元民から繰り返し抵抗にあい、征服は難航しました。サンチャゴにおかれた最初の恒久的ヨーロッパ植民地を開いたペドロ・デ・バルディヴィアPedro de Valdiviaは、マプーチ族の激しい反乱の際に亡くなっています。彼らは16世紀から17世紀にかけて南方へと後退させられますが、なおもスペイン人との衝突は続きました。

独立への最初の気運は、スペイン国王がフランスのナポレオン1世により退位させられ、投獄されたことにより高まりました。ベルナルド・オイギンスBernardo O' Higginsが率いた多くのチリの兵士たちはアルゼンチンに逃れ、革命勢力の指導者ホセ・デ・サン・マルティンJose de San Martinの兵力と合流します。の軍は王を支援する軍に勝利しました。オイギンスは、1818年2月12日、正式にチリの独立を宣言し、最初の元首となりました。

混乱の期間を経て、平和的な大統領の交代にもとづき、安定した政権が成立しました。しかし国内の統制が進むと、今度は近隣諸国との国境に関する利益の衝突が起きるようになりました。第一次世界大戦中は、チリは中立を保ち、硝石の重要の高まりによって経済的な繁栄を遂げます。第二次世界大戦中は、日独伊などの枢軸国との国交を断絶しました。戦後もチリは産業発展を続けます。

国際貿易がチリ経済の重要な地位を占めています。銅は長年にわたりチリの主要な輸出品目となってきました。近年では鉱石以外でも、果物類、加工食品、ワインといった品目の輸出の伸びもめざましいです。チリは国連においても活発に活動しており、各種機関や平和維持活動などに参加しています。

チリの人々は、自国を‘詩人の国Pais de Poetas’と呼びます。チリは多くの著名な詩人、小説家、短編小説家などを輩出しています。ガブリエラ・ミストラルGabriela Mistral 、パブロ・ネルーダ Pablo Nerudaの二人のノーベル文学賞受賞者を生んでいることからも、'詩人の国’ と呼ぶにふさわしいことがわかります。